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ありがとう、三沢
先日プロレスリングNOAHの社長、三沢光晴が亡くなった。

力道山亡き後プロレス業界を支えた猪木と馬場が偉大であるのと同様に、多様化する価値観と団体の中で業界の事、レスラーの生活の事、プロレスのあり方。
そういったものを常に考え行動していた彼は矢張り猪木や馬場同様偉大な選手だった。

いや、選手という表現はきっと正しくない。プロレスラーという職業はそのピラミッドを上り詰めていく程選手では無くなっていく。
そう、三沢は間違いなく伝説だった。

初めて生で見た三沢は学生時代。
当時はまだプロレスに関してさしたる知識は無く、サークルの先輩の家に泊まってセッションを行った際、深夜にやっていたプロレスを見るとかその程度。
タイガーマスクだった、という程度しか私にプロレス知識は無かった。

そんな中友人に連れられていった全日の会場。
その試合は三沢vs秋山。初めて秋山が三沢越えを達成した試合だった。
スピードも重量感も。二階席から見ているにもかかわらずTVで見るプロレスとは大違いで、何もかもが衝撃的だった。

それから間もなく、全日は崩壊した。

まだプロレス知識を持たない中で三沢の取った行動は自分にはとても信じがたく、それから一年通して全日の武道館に通い続けて川田を応援していた身としては会場の客入りの少なさに「なんであんな事したんだよ」というもやもやした気持ちでいっぱいだった。(理由を知ってからはちゃんと納得できたんだけど)
だからその当時、けして自分は三沢のファンでは無く、けれど三沢の試合を見るたびその試合の素晴らしさに唸らされていたものだ。

素直にファンになれたのは実は試合を見たからじゃあない。半ば意固地になって三沢ファンを名乗らなかったけれど、その一件は三沢に惚れ込むには十分な出来事だった。

先輩である冬木弘道との一件だ。

三沢とのシングルを終えた直後に冬木が発表した自分の大腸癌と、それを理由にした引退。
その知らせを聞いた三沢はすぐさま会場を押さえてその五日後、冬木のために引退興行を開いてその収益の全てを冬木に送った。

2002年の出来事だった。今時ありえない程の浪花節だった。
その頃からだ。プロレスラーはリングの上だけでプロレスをするのではなく、人生の全てでプロレスをするのだと知ったのは。

スジを通して義理堅く、面倒見がいい人柄のリーダー。同時に日本屈指の名レスラーだった三沢。

その彼が亡くなった。

リングの上で亡くなったのなら本望だろうという人もいる。そう思いたい。
けれどTV放送が打ち切りになり、団体の未来を支えるべき選手達は伸び悩んでいる。新日や全日とのライセンス制の導入をきっかけとしたプロレス業界復興のための経営。まだやらなきゃいけない事が山積みだった。面倒見のいい彼の事だ、後進のためにもっとしておきたい事もあっただろう。
彼には自分の蒔いた種が芽吹き、復興する輝かしいプロレスの未来を見ながら穏やかに大往生を迎えて欲しかった。

だから残されたNOAHの人達、そして他団体の選手達には三沢の夢を適えて欲しい。
自分がその溢れんばかりの情熱を傾け、一生を賭けたプロレスは矢張り素晴らしいものだったのだと、三沢が胸を張って自分の刻んだ王道を振り返れるように。

ありがとう、三沢光晴。あなたの残した試合の一つ一つが宝物です。気持ちの整理がつかなくて少し遅れてしまったけれど、ここにご冥福をお祈りします。










でもさ、やっぱりまだ早すぎたよ。
by tsujihatago | 2009-06-16 22:00 | プロレス&格闘技
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